ローマ書の「輝き」である8章を少しずつ区切って味わいながら読んでいます。今朝のテキストは「霊」「聖霊」についての部分です。
私たちキリスト者は、体は罪によって死んでいても“霊”は義によって命となっている、その霊によってあなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださる。私たちに破格の恵みが既に与えられている事実をパウロは語ってくれています。
ただし、キリストがあなたの内におられるならば。本当にあなたの中に“霊”が宿っていてくださるのなら、との条件付きで。
条件がバプテスマを受けているからとかクリスチャンだからではないことに注意しておきたいですね。福音の輝きを余さず享受するために自己吟味が迫られている、このテキストにはそんな意味も込められているのでしょう。
10節に“”(クォーテーションマーク)が付いている「霊」が出て来ます。新共同訳聖書の凡例によると「字義どおり「霊」と訳した箇所のうち『聖霊』『神の霊』と訳出したケースの前後に付した」とあります。
馴染んでいる単語に知らなかった意味がまだいくつも有るのですね。そこで今朝は最初に「霊と肉」についてギリシア語辞典で引いてみる、ということをしました。その結果、私たちにローマ書、聖書を読みこなすのが困難なのは当然だ、という感慨を改めて持ちました。
よーく知っている「つもり」のキリスト教界用語が新鮮に感じられて行き詰まり感に風穴が開いた気がしました。「幾度も読んだテキストを今日初めて開く気持ちで読み直す」。自己吟味の第一歩だなと思います。